この日記は、ななしが「MASAと歩くニューヨーク2002ツアー」に参加した際の出来事、想い出を、ななしの視点で記したものです。どちらかとういうとななしの備忘録といった色が強く、ニューヨークツアーの詳細を知りたいとか、山本正之に関するより深い情報が知りたい、という方にはあまり適当でないものかもしれませんが、ご了承ください。
なお日記は、当日ないしその翌日にメモ帳に手書きしたものをタイピングしなおしたものです。先を読むと情報が訂正されることもありますので、ご注意ください。
2002年11月13日(Tokyo)
今日は長い。とても長い。ぼくの一番長い日だ。
気分的な問題ではなくて、本当に長い(気分的な話をすれば、ぼくの昨日はまだ終わっていない。寝てないんだから!)。日付変更線を超えて時間を逆行するのだ。朝9時に成田に集合してNYのJFK空港には朝の8時に着く。日本とNYの時差は14時間。ぼくの11月13日は38時間ある。
都営地下鉄から、途中一度乗り換えて成田空港代にターミナルビルへ向かう。成田空港へ向かう京成線沿線は、ちょっとぼく好みのローカル線風景だったが、電車の中は乗り過ごしだけに注意してうとうとしていた。
第二ターミナルビル駅で、一緒にツアーに参加するまさみさん(残念ながら男性)と合流。途中から同じ電車に乗っていたのだが、お互いシートに座れていたので、駅を降りてから合流したのだ。
改札を出てしばらく歩くと、パスポートの提示を求めている。空港に入るだけでもパスポートが必要なのか?と思ったが、どうやら旅行者風の人(大きな荷物を持っている人)だけにしか提示を求めていない。パスポート忘れ防止なんだろうか?
そこを通過して一番最初に見えた保険屋で海外旅行用の傷害保険に入る。保険屋オススメのプランから死亡の際の補償額を下げて、3790円の保険に入る。まさみさんはドルへの両替もしていた。レートはぼくが替えたのとほぼ一緒。国内で変えればほとんど同じレートみたいだ。
そんなこんなで待ち合わせ場所に着く…いや、待ち合わせ場所を探していると、
「MASAと歩くニューヨークツアーの方ですか?」
と声をかけられた。手に、TeamCom(今回お世話になる旅行代理店)のパンフを持っていたから分かったのだろう。
この、声をかけてきた人が、ツアーコンダクターの阿部さん。見るからにやさしそうなおじさんだった(関係ないが阿部さんは、何となくガムをかんでいる印象が強い)。
「えぇーっと、○○くん(ななしの本名)と、××さん(まさみさんの本名)」
名前を確認されるということは、もうぼくら以外の人は集まっているということか。確かに保険の手続きなどをしていたせいで、集合時間ギリギリだった。それにしても何でぼくは「くん」で、まさみさんは「さん」なんだろう?
集まった参加者は阿部さんを除いて9名。うち4人が男性で5人が女性だ。もっと皆さん和気藹々なのかと思ったら、口数が少ない。朝も早くから成田までやってきて、お疲れなんだろうか?
お一人、セキをして鼻をすすっている方がいた。見るからに体調が悪そう。きっとたつなみ朝廷さんだろう。昨日、メーリングリストに「風邪ひいてます」という投稿があったのだ(もちろん後で正解がわかる。本当にたつなみ朝廷さんだった)。
偶然近くにいたときに、
「ハイパー体調悪そうっすね。大丈夫ですか?」
と、ちょっと冗談めいた口調で聞いてみたのだが、
「えぇはい」
とうつむきがちにお返事。あら。ファーストコンタクト、失敗風?
長い長い(約12時間)のフライトは、1986年に正之先生がNYに1ヶ月間滞在したときに書かれた日記を読んだり、睡眠をとったりして過ごす。目の前のテレビ画面でスパイダーマンが見れたが、徹夜明けでは最後まで見ていられないだろうと思ってあきらめた。予想通り、すぐに眠りにつく。通路側の席で寝ちゃったけど、窓側のまさみさんは途中でトイレに行きたくなったりしなかったんだろうか?
たまに起きてみると、まさみさんはなかなか寝付けない様子で本を読んでいたりした。最終的にはワインを3本くらい立て続けにあけて、強引に眠りについてたけど…飛行機の上って酔いが回りやすいんじゃあなかった?
まだNYに着きませんねえ…。ちなみにここまでは行きの飛行機の中でメモ帳にシャーペンで書いたものです。HTMLにするときに少しだけ手直ししましたが、ほとんど原文ままです。
- 2002.11.14 -
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