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シリーズ連載
MASAと歩くニューヨーク2002ツアー 参加日記
ニューヨークこい物語
(2002年11月12日〜17日 東京・ニューヨーク)
ニューヨークこい物語No.06 ななし自由の女神に逢う

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 この日記は、ななしが「MASAと歩くニューヨーク2002ツアー」に参加した際の出来事、想い出を、ななしの視点で記したものです。どちらかとういうとななしの備忘録といった色が強く、ニューヨークツアーの詳細を知りたいとか、山本正之に関するより深い情報が知りたい、という方にはあまり適当でないものかもしれませんが、ご了承ください。
 なお日記は、当日ないしその翌日にメモ帳に手書きしたものをタイピングしなおしたものです。先を読むと情報が訂正されることもありますので、ご注意ください。


2002年11月14日(NewYork)
 昨日は11時頃には床に就いた。朝は7時45分にロビーに集合。寝る時間は十分ある…と思ったら、時差ぼけのせいか、5時半ごろに目覚めてしまった。それでも6時間半寝ているので良しとしよう。窓から、まだ日の昇りきっていないNYCを見下ろしてみる。渋滞の多いNYCといえども、さすがにこの時間では走っている車はまばら。人影もない。
 昨夜、同質のまさみさんと一緒に近所のDELIで買ってきたマフィンと、スプリングウォーターの朝食。マフィンは結構パサパサしていた。

 7時45分。正之先生と合流して、地下鉄に乗ってサウスフェリーまで。そこからフェリーに乗って、自由の女神のあるリバティ島へと向かう。
 リバティ島に向かうフェリーに乗る前にも手荷物チェックがある。上着を脱いで、カメラを出して、時計をはずして、ベルトまで取るように言われた。空港のチェックではベルトも時計もつけたままで済んだから、ある意味空港よりも厳密な金属探知機が用意されているのか。さすが厳戒だなあ。
 船に入ると、どこかの学校の社会科見学があるのか、ババ・レイ・ダッドリーみたいな先生が、たくさんの生徒(中学生くらいか?)を引率している。…うるさい。とめどもなくうるさい。アメリカの子供ってのはこんなにもうるさいのか?って、日本でも結構うるさいか…。
 フェリーに乗ってしばらく進んでから後ろを振り向くと、マンハッタン島が見える。フェリーから見るマンハッタン島も見事なもので、なんだかSFに出てくる浮遊都市みたいだった。移民資料館のあるエリス島も、なんだかRPGに出てくる小さな島みたいだ。
 自由の女神がだんだん大きくなってきた。女神像が近づくと、日本人もアメリカ人も写真を撮りだす。日本人だけがカメラ好きってわけじゃないじゃないか。さっきの生徒たちが何かの歌を合唱していた。別に誰かが指揮をとっているわけでもなく、自然発生みたいだ。国歌ではなかったが、流行り歌風でもない。何か唱歌みたいなノリだった。自由の女神の歌でもあるのか?

 女神が見上げるほどに大きくなって、いよいよリバティ島に到着だ。小さな島の真中に、どーんとリバティが鎮座(立ってるけど)しなすっている。船着場の柱の上に、かもめが一羽とまっていた。まさしく、「女神の自由」の歌いだし「かもめが羽を休める、午後の船着場…」といった感じ。まぁ時刻はまだ午前中だったが。
 正之先生に「自由の女神」の歌詞にまつわる話を聞きながら歩を進めると、目の前にリバティの後姿が見えてきた。道に沿って、リバティの右側から正面を経て、女神の周りを一周する。芝生の上で、さっきの学校の生徒たちが小さなボールで円陣パス…いや、この遊びをもっとも的確に表現する言葉があった。蹴鞠だ。少年たちが、自由の女神そっちのけで蹴鞠に興じている。アメリカの少年たちには何の感慨もないのだろうか。
一方のぼくらは、ただひたすらに女神を見上げ、たまに写真も撮りながら歩く。 「なんだか造り物みたい…」
と、わけのわからない感想を抱いてしまった。もちろん造り物に決まっている。走っても歩いても女神の自由なのは、歌の中の話なのだ。でもなんだか、現実感がないというか、自分が本物の自由の女神の前に立っているのが信じられないというか、やっぱり「造り物みたい」と思ってしまったのだ。

 ちょうどリバティの背中まで廻ったとき、リバティの掲げた右手と、太陽が重なった。逆光で女神はシルエットになり、とても格好いい。(このとき撮った写真を2003年の年賀状に使った)
 リバティを一周して、お土産物屋を物色。あからさまに土産物らしさ全開のものしか置いていない。アメリカを代表する観光地なのだからそれはそれで良いのだろうが、ここまで土産土産しているものは、ちょっとぼくの趣味じゃない。売られているのを見るのだけで満足してしまって、買って帰る気はあまりしない(とか気取ったこと言ってるから、毎回どこに旅行に行ってもお土産が買えないんだ)
 みなさんの買い物を待って、トイレに行って…なんてことをしていたらいまいち集合がうまくいかず、フェリーを一本見送ることに…しようかと思ったところで全員集合。船着場まで走って、フェリーに駆け込み乗船。走ってくる人を見れば、待っててくれるものだ。船員の人に軽く頭を下げて乗り込んだが、こんなジェスチュア通じないよな…。
 ぼくらが乗り込むと、ほどなく船は出港した。女神がまた遠くなっていく。このフェリーでもさっきの生徒たちと一緒になった。やっぱりうるさい…。

 船はエリス島に到着。ここはその昔、アメリカに移民してきた人が最初に通され、移民の許可が下りるまで、何日も何週間も待たされた場所だそうだ。移民資料館みたいなものがある。
 当然だが先ほどの生徒たちもここで船を降りる。どうやらこの生徒たち、普通の学校ではなく、特殊学級だかの生徒であるらしい。ちょっと普通とは違う子供たちみたいだ。確かに後からエリス島にやってきた黒人学校(というのがあるのかどうかは知らないが、生徒はみな黒人だった)の生徒たちはもっと静かだった。アメリカの子供たちのみんながみんなうるさいわけではないみたいだ。


 移民資料館で移民の数の推移のグラフを見た。1940年代に激減してるのが良く分かる。
「1940年代って、何があったんでしたっけ?」
とか、良識を疑いたくなる質問を発してしまった。二次大戦に決まってる。日本人ってのはやっぱり、あんまり恨みがましく昔のことを覚えていないもんなんなんだなあ…。
 いや、ぼくだけが思ったことを、日本人全体に当てはめるのも失礼な話かもしれないですけど。

- 2003.01.04 -

 
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