●               ●  
 
シリーズ連載
MASAと歩くニューヨーク2002ツアー 参加日記
ニューヨークこい物語
(2002年11月12日〜17日 東京・ニューヨーク)
ニューヨークこい物語No.18 The Party in Masa's room

<<Prev  Index  Next>>

 
 

 この日記は、ななしが「MASAと歩くニューヨーク2002ツアー」に参加した際の出来事、想い出を、ななしの視点で記したものです。どちらかとういうとななしの備忘録といった色が強く、ニューヨークツアーの詳細を知りたいとか、山本正之に関するより深い情報が知りたい、という方にはあまり適当でないものかもしれませんが、ご了承ください。
 なお日記は、当日ないしその翌日にメモ帳に手書きしたものをタイピングしなおしたもの…だったんですが、ここらへんになってくると、とうとうメモが途切れました!かなり記憶の糸をたどって書いてます。1年以上前の記憶になってしましたので、後々情報が訂正されることもありますので、ご注意ください。また、間違い等は指摘していただけると幸いです。


2002年11月15日(NewYork)
 銀座のパキラ紐育編では「Masaの家で何があったかは内緒(はぁと)」(最後の「はぁと」はぼくが勝手に付けました)と歌われていたが、か、書いちゃうぞー?
 と、怖がってはみたものの、別にめくるめく儀式があるわけでもなく、近くのお店で買ってきたお酒を片手に、歓談。ぼくは地ビールみたいなのを買った覚えがある。
ツアー参加経験のある方々は少し後ろのテーブル席に。ぼくを含めた初参加の人たちはソファー(どんな時差ボケも治してくれるという、あの、「魔法の」ソファーだ!)の前に車座になって座って、NYのエピソードを聞いたり、自分の話をしたり。こうやって腰を落ち着けて歓談ができる機会なんて、なかなかないことだ。

 と、ここで、ドラゴンズの立浪和義選手の話が出た。参加者の中に立浪ファンの方がいらしたからだ。その話にぼくも混じらせていただいて、しばしの立浪トーク。と、正之先生が唐突に仰った。
「君も中日のファンなの?」
…来た。来てしまった。ぼくの爆弾を告白するときが来てしまった。
「えーっとですね、ぼくはですね、…その、この場では非常に口にしずらい球団のファンでありまして…」
そう。ぼくは山本正之ファンには数少ない(であろう)、巨人ファンなのだ。だってだって東京生まれの東京育ち。ならヤクルトファンでも日ハムファンでも、巨人ファンであっても、ごくごく自然なことじゃあないですか!
反論むなしく、巨人の話やナベツネの話や長嶋の話やらがぼくに振られ(いや、ぼくは長嶋ファンってわけじゃあないんですけど)、しどろもどろに回答。「そんな人だとは思わなかった」なんて笑いながら言われつつ、すっかりその日の話題の真ん中に居座ってしまった。
 話も一段落。飲み物もなくなった。「じゃあそろそろ…」という感じでお開き。ぼくらと正之先生はここでお別れで、明日は飛行機に乗って日本に帰るだけだ。延泊される方は正之先生と、翌日の予定について話してらした(え?トランプして過ごすんですか?)
 …あれ?確か聞いた話では、ここで少し正之先生の歌が聞けるんじゃあなかったっけ?違ったっけ?…さんざん冗談っぽく話題にされていたけれど、実はぼくが巨人ファンだったことに本当に気分を害されたりしてたりするのかなあ?だったら他の参加者の方に悪かったなあと、こっそり不安になってはいたのだが、これは後日、杞憂に終わったことが分かる(欄外参照)。

 男性陣はシェイクハンズ。女性陣はハグしてお別れ。ホテルに帰って一晩寝たら、ぼくらは日本へ戻るのだ。早かったなあ。夜のニューヨーク。繁華街ではないので、人はいてもにぎやかではない。正之先生に見送られて地下鉄への階段を降りているときは、街の雰囲気も手伝ってか、なんとも寂しい気分がした。…というのが半分。残りの半分は、巨人ファンをカミングアウトしたことへの不安感があったりもしていたのだった。


 後日うかがった話では、別にぼくが巨人ファンだからとかそういう理由ではなくて、正之先生が借りていたコンドミニアムでは夜何時以降はギターを弾いてはいけなかったり(いや、ギターに限定はしてないでしょうけど)、結構夜遅くなってたりとか、他の理由だったみたいです。あーよかった。

- 2004.05.01 -

 
  <<Prev  Index  Next>>